(そんなのあるはず無いでしょ!)
すべてが初体験。 出産はもちろん、おっぱいをあげるのも、おむつを取り替えるのも、沐浴も。赤ちゃんを抱くのも初めてなんですから。まるで実験台のようなものでした。
スポック博士や松田道雄氏の育児書を読んではいたものの、現実はそのとおりにならず、泣いてばかりいる赤ちゃんを目の前にして、「どうして泣くの」とこちらも涙・涙・・・ 頼りの夫も、父親っていうものは初体験。一緒におろおろしてたっけ。
そのせいか、癇が強くて神経質なところがあり、よく泣く子でした。 しかし、2歳下に弟、4歳下に双子の妹が生まれ、徐々にお兄ちゃんブリを発揮。 小学1年生のとき、彼は担任の先生に言いました。「僕、弟と妹がたくさんいるから大変なんだ」 そんなことを思っているなんて、親はちっとも気づいてなかったけど、長男としての苦労を重ねていたらしい。
そんな苦労を乗り越え、今は立派な(?)青年に
(そんなのあるはず無いでしょ!)
長男2歳のときに次男が誕生。
今度は慣れたモノで、適当に手を抜くリラックス育児。 よくしたもので、にこにこ笑い手のかからない赤ちゃんでした。
生まれた時、顔に湿疹があり、お世辞にも可愛いとはいえない赤ちゃんの様子に、面会に来た夫は写真も撮らずに帰ってしまう有様。しかしその後、急速に可愛くなり、やがてジャニーズ系に。親ばか!
大きくなったらお兄ちゃんに追いつけるかと思っていた次男は夢かなわず、弟のまま。2歳下の妹たちから、「まさクン」とタメ口で呼ばれる毎日に、「僕だってお兄ちゃんなのに…」とブツブツ言ってました。
2歳上のお兄ちゃんと双子の妹にはさまれ、ブロック遊びが得意なおとなしい男の子だったのに、やがてその反動からかやんちゃ坊主に変身。小学校入学以降は心配したりやきもきしたり、けっこう手が掛かりました。
そんな次男も今は、立派な(?)青年に。
(そんなのあるはず無いでしょ!)
妊娠中の定期診察で、「心音が二つ聞こえますね。双子ですよ。」と言われ、頭の中が真っ白になりました。予想もしていない事態に、「えーっ、うそぉ」。4人も育てられるのか、と不安に駆られましたが、やるっきゃない。
早産になると困るから、大事にするようにと言われてはいたけれど、3歳の長男は、チョコチョコ遊びに出て行くし、1歳の次男はまだおむつをしていて、トイレトレーニングの真っ最中だし。家事に追われて、お腹の赤ちゃんを大切にするにはほど遠い暮らしぶり。
案の定妊娠8ヶ月で、早産の危機にみまわれ、3歳の長男と1歳の次男を実家の母に預けて入院しました。予定日は5月6日。あと1ヶ月半もあります。赤ちゃんが一日でも多くお腹のなかに居られるよう、ベット上で安静に過ごさねばなりません。
3月中に生まれると早生まれになり、次男と学年が続いてしまいます。子ども達が学校へ通うようになったら、その支度だけでも大変です。
4月1日の夜、夫が面会に来て「今日を乗り越えれば2学年違いになるね。」と、一安心したものでした。
しかしその夜遅く日付が変わるころ破水し、翌早朝35週目で出産となりました。病院からの連絡を受け、夫はビックリ。夕べ、「4月1日を無事乗り越えた」とホッとしたばかりだったのにね。まあ、とにかく4月2日誕生なので、ギリギリの遅生まれとなりました。
長女3072グラム、次女2884グラム。書き間違いではありません。二人合わせて6キロ近くあり驚きました。産声はちょっと弱かったけど元気な赤ちゃんでした。体温調節のため保育器のお世話になりましたが、身体が大きかったので、新生児室の保育器の中にいるのがおかしいようでした。
二人の区別が付かなかったらどうしよう、ちゃんと見分けられるかしら、とあらぬ心配をしたものの、それぞれにしっかり自己主張をするかのような泣き声で親を呼びます。
双子の育児は体力勝負。かわりばんこの授乳、二人分の沐浴、次男と合わせて3人分のオムツの洗濯、とにかく母親に眠るヒマはありません。24時間営業中、コンビニみたい。週に何回か実家の母が来てくれましたが、あまりの忙しさにその頃のことはよく覚えていません。1歳の誕生日を迎えるころにようやく一息つけるようになりました。やっと夜も続けて眠れるようになりました。
そんな娘達も今は立派な(?)青年に。
双子を、そして上の子達にも平等になるように心がけました。親の一方的な思いですから、本当の平等かどうかはわかりません。でも、男の子だから女の子だからとか、お兄ちゃんだから、とか言わないようにしました。 特に、双子の娘達にはどっちが上でも下でも関係ないわけですから。
ところが、娘たちを見た人は必ずと言っていいほど、こう聞きます。「どっちがお姉ちゃん?」。誰も悪気がある訳じゃないので、無視するわけにもいかず、戸籍上の長女を「こちらが長女です。」と答えます。自然と本人たちも「私がお姉ちゃん」「私が妹」と自覚してしまうことになりました。
ちなみに「どっちがお姉ちゃん?」の類の質問は双子の母親がいやがる質問の第一位です。(これを読んでいる双子のお母さん方は大きく頷いていることでしょう。)でも、今では大きくなった娘たちは同じことを聞かれても「さあ、どっちかな?」などと軽く受け流すようになりました。
病気のときはとーっても大変。夫が仕事を休めない時期は、実家の父母が手伝いに来てくれますが、急な発熱やケガをしたときなど、急を要する時は近所に頼んだり、小さい兄弟だけで留守番させたり、今思うとスリル満点。 一人が耳下腺炎にかかったときは、潜伏期間を置いて次の子に移り、その後又潜伏期間を置いて次の子へ、その後また次の子へ、と4人全部に移り終わったら、ひと夏つぶれてしまった…なんてこともありました。
双子の娘達が幼稚園に通うようになると、忙しさが一段落。でも通園道具の名前書きの多さには閉口しました。長男・次男の物もありましたから、新学期前は夜なべで名前書きをしました。
幼稚園も小学校以後も、娘たちのクラスは別にしてもらいました。ひとりが出来ることがもう一人には出来ないなど、お互い意識しないでノビノビして欲しかったからです。そのせいかどうか、それぞれに友達を作り別行動することも多かったようです。
娘達も成人式を終え、我が家のドタバタ子育ても終わりつつあります。病気になったり、いたずらしたり、思いも掛けないことをしでかしたり、その度に振り回されましたが、忙しいばかりでなく楽しいことや面白いこともたーくさん経験できました。毎年成長する子ども達を間近にして、私も一緒に成長できたようにも思えます。家族が健康で笑って過ごせることが何よりの幸せと感じるこのごろです。 (2000.12.31記)