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はるとまさこのマイケアプラン
よりあい*ええげえし新聞掲載記事より

「地域で・元気に・相返し」を実践する地域交流ボランティア「よりあい*ええげえし」の発行する新聞に、「はるとまさこのマイケアプラン」を掲載しています。
よりあい*ええげえし新聞38号(2006年3月6日発行)

制度が変わる

4月から大きく変わる介護保険。介護保険法附則第二条に「…(略)…この法律の施行後五年を目途としてその全般に関して検討が加えられ、その結果に基づき、必要な見直し等の措置が講ぜられるべきものとする。」とあり、いよいよその時が来たわけだ。
介護予防が重視されて、「要支援2」という介護度が新設され、第1号被保険者の保険料・介護サービスの単価も4月から新しくなる。
新規事業も、4月からすぐに始まるものもあれば、市町村の判断で猶予期間のあるものも。地域支援や介護予防事業、それに伴う評価、特定高齢者などという用語は馴染みがないだけに、いつどのように始まるのか、分かりにくさに拍車をかけているようだ。私たちのまちではどう変わるのか、関心を持っていたい。
平成12年の介護保険開始時期の混乱を思い出す昨今だが、6年経った現在、利用者は格段に増えたし、訪問介護のヘルパーさん、デイサービスの送迎車なども身近に見聞きするようになった。これからは、必要なサービスが過不足無くケアプランに盛り込まれ、誰もが自分らしい暮らしを送れるようになりたいもの。団塊の世代が60歳を迎える2007年を控え、さらに介護予防が重要になってくる。数年後に予想される超高齢社会でも、生き生きとした生活を送れるよう、自分たちの地域を見つめ直してみたい。
走りながら考える制度といわれる介護保険は、これからも、3年に1度の報酬の改訂や5年に1度の制度の改革が行われる。今回の改正点も含め、知識と知恵を交換し合いながら、地域のみんなで学び合っていきましょう。
よりあい*ええげえし新聞37号(2006年1月9日発行)

健康づくりと介護予防

4月からの改正介護保険制度には、新予防給付・地域支援事業・介護予防事業・地域包括支援センターの創設などがあり、介護予防事業は地域包括支援センターを中心に展開されることになる。新事業の導入時期や設置などは、各市町村が計画に基づいて決めていくのだが、坂戸市でも、12月26日に第5回高齢者保健福祉計画審議会があり、介護保険事業計画(素案)が検討されている。新制度では市町村の役割がより大きくなることでもあり、関心を持っていたいもの。
これからの広報さかどや新聞などを注意して見ていきましょう。そして介護予防事業、地域支援事業などの言葉を見つけたら、内容をよく読んで、みんなで知恵を寄せ合ったり、情報交換しながら、自分の暮らしについて学び合っていきましょう。
介護保険・介護予防というと特別のことに思えるけれど、ふだんからの健康づくりや、何気ない笑顔のお付き合いを通じて、閉じこもらずに交流して行ければ、それが何よりではないでしょうか。
よりあい*ええげえし新聞36号(2005年11月16日発行)

介護予防と地域づくり

5年経過した介護保険制度が、来年4月から大きく変わる。
改正の柱は…、 1.予防重視型システムへの転換 2.施設給付の見直し 3.新たなサービス体系の確立 4.サービスの質の向上 5.負担の在り方・制度運営の見直し……など。
このうち、「施設給付の見直し」は、半年早く、今秋10月からすでに施行されている。施設サービスの場合、ショートステイも含めて、居住費や食費は保険給付の対象外となり、利用者が支払うことになった。在宅の場合と同じように「食費は自分で」というわけだ。けれど、今回の改正に合わせて、デイサービスやデイケアといった通所サービスでも、食費が全額自己負担となるわけで、低所得者への負担軽減の配慮もあるけれど、それでも出費増をおそれてサービスを自重する人も出ているようだ。はるさんを在宅で介護できたのも、デイケアとショートステイがあったからこそ。今も介護中だったらと、考え込んでしまった。
「予防重視型システムへの転換」では、新予防給付・地域支援事業の創設が挙げられ、「介護予防」が注目される。そして、「新たなサービス体系の確立」は、地域密着型サービス(左上参照)・地域包括支援センター(ニュース31号参照)の創設などが挙げられており、ここでのキーワードは「地域」。どのような地域を望むのか問われることになる。新しい用語ばかりで複雑になったけれど、今回の改正で示されているのは「介護予防」と「地域づくり」だと言える。
いずれにしても来春からはじまる改正介護保険制度。耳慣れない用語に振り回されずに、自分らしい暮らしという視点から見ていきたい。介護中の人もそうでない人も、自分のこととして!
よりあい*ええげえし新聞35号(2005年9月5日発行)

坂戸市高齢者保健福祉計画審議会公募委員として

酷暑の今夏、9月になっても残暑の日々が続いている。
はるさんの介護をしていた頃、「高齢者にとって、夏の水分不足は秋から年末にかけての体調に影響を及ぼす」と、ある施設長さんから聞き、暑い時期にはせっせと水分補給に精を出したものだった。
でもそれは、高齢者ばかりでなく誰の健康にも欠かせないこと。はるさんの命に直面したことで水分補給の必要性を実感せざるを得なかったのだが、介護を通じて得た情報は、普段の暮らしにも共通するものだった。
介護生活は、社会や地域に対する目も開かせてくれた。新聞などに載っている介護用語や、難しそうな制度等も調べざるをえず、そのおかげで様々な情報を得ることができ、また、立場の違ういろいろな人にも教えて頂くなかで、出会いにも恵まれた。
制度開始から5年経過し、介護保険改革の時期となって、予防重視型システム・地域密着型サービス・地域包括支援センターなど、新しい言葉もたくさん出てきた。一人では難しいことも、みんなで学び合い、知恵を出し合って行きたい。
今、よりあいの会やマイケアプラン楽習会、地域福祉講座などで地域のみなさんと一緒にマイケアプランを学びあうようになったけれど、これこそが、はるさんからの贈り物かもしれない。
よりあい*ええげえし新聞34号(2005年7月4日発行)

5年経過の介護保険

坂戸市高齢者保健福祉計画審議会の第1回目が7月1日に開かれた。初回と言うこともあり、資料説明に多くの時間が割かれたが、介護保険制度改正関連では予防重視型システムや地域密着などがあり、新予防給付には新しいサービス名称や用語も出て来るようだ。介護保険制度を包含する高齢者保健福祉計画の見直しにあたり、今後は、健康づくりなども含め、幅広い施策が審議されていく。「だれもが健康で安心して暮らせるまちをめざして」(事業計画より)いる坂戸市に住む私たちは、ひとり一人違う暮らしを持っている。それぞれの暮らしに活かせる施策となるよう、情報交換しながら考えていきたい。
また、7月3日には、全国マイケアプラン・ネットワーク主催「マイケアプランシンポジウム2005」が開催され、ええげえしからも10名が参加した。5年経過後の介護保険制度を考える上でも示唆に富む内容だった。
よりあい*ええげえし新聞33号(2005年4月30日発行)

介護保険の見直しと高齢者保健福祉計画

2000年(平成12年)に介護保険制度が開始してから5年経ち、現在のサービス利用者数は300万人以上ともいわれる。難しいと思われていた制度だけれど、利用者はこの5年間で倍以上の伸びを示した事になるとか。
今年、介護保険法の見直しがあり、来年度からは新しい制度が導入されるとのこと。だれにも分かりやすい制度になればいいけれど、相変わらず難しそう…。介護予防や地域密着などに重点が置かれることで、サービス内容や種類も複雑になりそうな気配がする。
坂戸市でも高齢者保健福祉計画審議会が準備されているが、計画に市民の意見が反映されるよう、今後も学び合っていくことが大事だと思う。
よりあい*ええげえし新聞32号(2005年3月30日発行)

介護保険の見直し(3)

坂戸市高齢者施策推進懇話会が3/29に開かれた。今回をもって任期終了となるが、昨年からの会議で出された意見は、今後の策定審議会に活かされるとのこと。介護保険制度見直しの年でもあり、引き続き関心を持っていたい。
制度見直しに関しては、地域密着型サービス・地域包括支援センターの創設、予防重視型システムへの転換などが厚労省より示されている。新たに予防給付が創設され、要介護度状態の区分も変わるとのことだが、制度が変わっても、私たちの生活はそれまでと同じように続いていくわけで、自分らしさを失わず、前向きに生きていきたいもの。情報を集め、日々の暮らしに賢く利用して、生き生きと自分らしく暮らせたら、心や身体の健康につながり、それが介護予防となるだろう。
時代の変わる中、ええげえしの仲間とマイケアプランを学び合ううちに様々な人との出会いがあり、地域を知り、まちの社会資源を知ることができた。いきいき福祉講座で講師役ができたのも、たくさんの方との学び合いがあったからこそ。
これからも情報交換しながら、繋がりを大切にしていきたい。
よりあい*ええげえし新聞31号(2005年2月17日発行)

介護保険の見直し(2)

近頃、新聞やテレビでも目にするようになった「介護予防」や「地域包括支援センター」ということば。一体なんだろう?
介護保険見直しの柱の一つが「予防重視型システムへの転換」で、要介護になる前の介護予防に力を入れていくというもの。
新たに創設される「新予防給付」と、従来どおりの「介護給付」(介護保険サービス)に認定で振り分けられ、「新予防給付」該当者は地域包括支援センターの保健師がケアプランを作成するとのこと。筋力トレーニングなどの新メニューも登場する。「介護給付」該当者のケアプランをケアマネジャーが作成するのはコレまでと同じだが、今度の見直しによって、私たちの暮らしがどう変わっていくのか、気にかけていかなくてはならないと思う。
よりあい*ええげえし新聞30号(2005年1月10日発行)

介護保険の見直し

心新たに迎えた新年、2005年は介護保険制度見直しの年でもあります。
2000年の開始から5年が経ち利用者が増えたものの、一方で無関係だと思っている人も多いようです。介護保険の仕組みは、時として分かりにくいし、関心があっても何から学べば良いのか見当もつかない、という場合も多いことでしょう。私たちはつい、介護を特別な事と思いがちですが、介護中だとしても別の人になるわけではなし、それまでの人生を引き継ぎ、自分らしく暮らしていきたいものです。
今後、制度の見直しに関する報道が多くなって来そうです。介護予防・標準化・介護の質・障害者プラン・グランドデザイン等の言葉も目にするようになるかもしれません。介護保険の理念は自己選択・自己決定だと言われていますが、これは利用する時ばかりでなく、計画の段階から求められているものですから、無関心ではいられません。
地域で自分らしく、賢く暮らすためのツールとして身近に感じられるよう、マイケアプランを学び合いながら、情報交換していきましょう。
よりあい*ええげえし新聞29号(2004年11月30日発行)

地域のつながり・お知り合い

師走が近づき、何かと気ぜわしい時期、介護保険制度見直しの記事が新聞紙上を賑わしています。2000年4月から始まった介護保険制度は、介護保険法附則第2条の規定により、その施行後5年を目途として見直し等を行うこととなっています。来年(2005年)がその年に当たります。全般に関して検討を行い、その結果に基づき必要な見直しをするわけですが、市民の意見も反映されることになっています。
坂戸市でも、1998年9月発足の「坂戸市保健福祉及び介護保険計画策定委員会」以来、高齢者施策に関する会議が位置づけられています。会議の名称は様々ですが、どれにも市民公募の委員が数名加わっています。(ちょっと難しい名前が並んでいますが、【参照】欄をご覧ください。)
自己選択・自己決定が謳われた介護保険。計画の段階から意見を求められているわけですが、施策を決めるような大きな計画から、身近な暮らしのプランまで、PDCAのマネジメントサイクルという考え方があります。P・D・C・Aはそれぞれ、プラン(plan)・ドウ(do)・チェック(check)・アクション(action)のことで、計画・実行・評価・見直しを繰り返すサイクルです。介護保険のケアプランも、普段何気なく過ごしている毎日の計画も、これと同じ。地域の資源(物・施設・制度・人…)を知り、活かしながら、自分らしい暮らしを考え合えたら良いですね。
介護保険開始から4年半、難しいと敬遠するばかりではなく、ええげえし流学びの哲学「分からないことは聞いてみる」の精神で、情報交換していきましょう。
よりあい*ええげえし新聞28号(2004年10月11日発行)

京ことばとシンポジウム

9月末、マイケアプラン研究会創立5周年記念「京都発マイケアプランの集い」に参加するため京都市へ行って来た。午前はビデオ上映「マイケアプランの意義と方法」、午後はシンポジウム『どうなる?介護保険第2ステージ マイケアプランのすすめ』で、基調講演の小國英夫氏をはじめ、4人のシンポジストから現状が語られた。フロアーとの意見交換も活発で、肢体不自由があるシンポジストたちへの質問も数多く、当事者にしか分からないと思われる困難事例等の悩みがケアワーカーから寄せられた。フロアーには介護保険事業の関係者が多かったようだが、「本人が希望しているかどうか」が肝心だという、当たり前と言えば当たり前の明快な答えに思わず納得。
最後に、高齢者の権利宣言が採択されシンポジウムは終了したが、今後の障害者プランや支援費制度との関係が注目されるシンポジウムだった。
介護保険制度が大きく変わる時期ではあるが、情報を的確に捉え、私たちなりのマイケアプランを学び合っていきたいと思った。よりあいの会や楽習会で、介護している方の声を聞く機会が増えてきた。仲間と一緒に、それぞれの自分らしい暮らしを考えていきたい。
よりあい*ええげえし新聞27号(2004年9月6日発行)

若い世代と

近頃のマイケアプラン勉強会は、参加者が増えてますます充実した時間になっている。他市からの参加もあるし、何より男性の参加が増えた。「介護するのは女性」と思われがちだったけれど、関心を持ってくれる男性が増えてきたのは心強い。年を重ねても自分らしい暮らしをしたいと思うとき、男女の別は無いはずだし、お互いに、介護保険のイロハを学び合って、介護予防を心がけ住み慣れたところで暮らしていきたいものだ。
そして、高齢者を支える若い世代の人たちとも理解を深め合いたい。性別・世代を超えて、地域で情報交換して支え合い、互いの立場を理解し合える関係を作っていけたらと思う。
よりあい*ええげえし新聞26号(2004年7月25日発行)

マイケアプランの広がり

義母はるさんのケアプランを自己作成に切り替えた頃、全国マイケアプラン・ネットワークの会合で全国の自己作成者たちと様々な出会いがあった。そして、介護を卒業した今でも全国マイケアプラン・ネットワークの仲間と有意義な時間を過ごしている。
先日、デイサービス利用者の方々の勉強会で、全国マイケアプラン・ネットワークの仲間と出前講座に伺った時のこと、意欲的な高齢者は、すでに介護保険についても勉強を重ねていて、自分なりの分厚いファイルと計算用の電卓持参で張り切って参加されていた。私は親世代のケアプランを自己作成したことで自分自身の身に置き換えるようになったけれど、これからは、この参加者の方々のように、自分自身の事としてマイケアプランを考えていく人が増えていくことだろう。
当初から介護保険では自己選択・自己決定が謳われていたけれど、ようやく、自己作成やマイケアプランが当たり前のこととして受け入れられるようになったのだと思う。
よりあい*ええげえしでも、自分らしい暮らしの中から地域を見つめ、マイケアプランを学び合っているが、仲間同士で言葉にして情報を交わし合うことで、自分では気づくことができなかった側面が見えてきたりする。仲間ってありがたいなぁ、と思う。皆さん、これからもどうぞよろしく!
よりあい*ええげえし新聞25号(2004年6月30日発行)

学び合って

全国マイケアプラン・ネットワークの仲間と準備を重ねてきたシンポジウムが、13日に無事に終わった。よりあい*ええげえしでマイケアプランを学び合っている仲間たちも大勢参加してくれて心強かった。「マイケアプラン」と言う言葉は徐々に市民権を得て来ているけれど、介護保険のケアプランを自己作成している人は、まだまだ少数派。自己作成者たちの体験が語られたこのシンポジウムは、全国マイケアプラン・ネットワークならではのことだろう。
また、27日には市内のワークプラザで、坂戸市健康センター機能訓練会「きのう会」の介護保険勉強会があり、横田代表と二人で講師を仰せつかった。ご家族やサポーターの方も参加された勉強会で、よりあい*ええげえしのマイケアプラン勉強会の経験を活かして「介護保険はじめの一歩」を学び合った。
きのう会の方たちのなかには介護保険を利用している方もいて、利用して気づいたことなど様々な様子を聞かせてもらったり、私にとっても良い勉強になった。あちこちでいろんな人に会う機会が多くなるにつれ、誰もがその人らしく暮らしていることに気づかされる。
介護保険と障害者プランのどちらも成り行きが気になるところだけれど、私たち市民が制度を理解して、賢い利用者になることが大切と思う。これからも情報交換しながら、学び合っていきたい。
よりあい*ええげえし新聞24号(2004年5月31日発行)

いざ、覚悟?

先日のマイケアプラン楽習会でサービスの提供体制について学び合った。坂戸市高齢者保健福祉計画に載っている「相談及びサービスの提供体制」の図を見ると、高齢者を中心に、その周りには、医療機関・在宅介護支援センター・各事業者・行政・社会福祉協議会などの関係機関、そして、各種市民団体やボランティア・地域住民が連絡し合っている。「なぁんだ、こんなに沢山の人に見守られていたのね」と思いを新たにした。
10年前の、いよいよ我が家で介護生活が始まるという時は、相当な覚悟をしたものだった。義父母を迎えると同時に、介護一色の生活になり、そしてお決まりのパニック状態にもなった。当時は家族だけで抱え込んでいたようだ。
でも今、この図を見ていると、中心に据えられている当事者になることもあれば、同時に周囲を囲む輪の中の存在でもあるのだ、と気づく。毎日の暮らしは、地域の輪の中、それもかなり大きな輪に囲まれている。ある時は当事者、同時に支援する人、見守る人にもなれるわけで、これからも様々な関わりを大事にしていこうと思う。
よりあい*ええげえし新聞23号(2004年4月30日)

知らないことは聞いてみよう

はるさんの介護をすることで様々なことを学んだけれど、私は素人の主婦。専門的な知識はないので、初めのうちは介護保険も分からないことだらけだった。けれど体験は何より強い。なぜかというと「困ること」が起こるからだ。
そして困れば誰かに聞かなくてはならなくなる。家族、知人友人、医師や専門家・行政の人、そして本や新聞を読み、マスコミからも情報を得る。最良の解決策が得られることもあれば、なにもできないこともある。そうして自分なりの対処法を探って、なんとか自分らしい暮らしをしていく。介護してても暮らしは続いているのだから。
私たちは、知らないと不安になり、何が分からないのかが分からない、という状態で、ますます不安だらけになる。まずはどこが分からないのか、おしゃべりの中からきっかけをつかんでみては?
そして、介護保険のパンフレットに載っている情報を一緒に学び合いませんか。分からない所が見つかったら専門家にも聞きに行きましょう。一緒に聞けば心強いかも。
ケアマネジャーってどこにいるの・ホームヘルパーってどんな人がなるの・要介護度5ってどんな人のこと・介護度が同じだと皆同じ状態なのかしら・在宅介護支援センターってどこにあるの・基幹型と地域型って何かしら…、などパンフレットを読むだけでは分からないこともありそう。一緒に考えてみませんか。
よりあい*ええげえし新聞22号(2004年3月31日発行)

よりあいの会「マイケアプラン勉強会」

平成12年4月の介護保険制度導入から、自分がどのように暮らしていきたいのか、を自己選択・自己決定し、自己責任が伴う時代になりました。自分発&自分流・自分が幸せ&周りも幸せって?等々に思いを巡らし、自分の生活のプラン作っていく時、具体的にどうすればいいのでしょうか?
まずは自分のまちを知ろう、と坂戸市発行のパンフレットや資料を活用して情報交換をしたり、出前講座を開催したり。全国のグループとの情報交換もしています。
日々の暮らしに追われじっくり考える時間は意外と少ないものですが、楽しく会話しながらの2時間は、自分らしい生き方、暮らし方を考える機会となり、豊かなひと時となります。介護保険など敬遠しがちな制度も、知恵と工夫で楽しみながら学んでいるところがええげえし流。知れば知るほど身近な問題に感じて、目からうろこのマイケアプラン勉強会です。
よりあい*ええげえし新聞21号(2004年2月21日発行)

マイケアプランは暮らしの味方

2月初旬、マイケアプラン楽習会の第1回目が始まり、介護保険パンフレットや事業所マップをテキスト代わりに基礎から学びあった。どちらも坂戸市が発行しているものなので、自分の住むまちを知ることにも通じている。介護保険の用語は無理に覚えようとしないで「分からなければ聞いてみる」の軽いノリで事業所マップを広げ、坂戸市内の現状を確認した。 クレヨンや色鉛筆を使って、赤・青・緑・黄…などで色分けしていくと介護保険事業所の様子がよく分かり、縁遠く思っていた介護サービスが身近に感じられた。
認定調査項目や一次判定のシミュレーションなどをメンバー同士で試しながら、高齢期の状態をイメージし、自分らしい暮らしについて語り合った。
2月のよりあいの会でケアプラン作りのシミュレーションをした時も、楽集会のメンバーのおかげでスムーズに進み、一週間のプラン・一ヶ月のプラン、そして、利用票の記入なども体験できた。ユニークで、しかも分かりやすいええげえし方式は、いつでもすぐに役にたつ。次は何を学ぼうかな。
よりあい*ええげえし新聞20号(2004年1月12日発行)

マイケアプラン楽習(がくしゅう)会にむけて

要介護度5の義母はるさんが亡くなったのは2年前の1月7日。その年は、空っぽになった時間をどうすればいいのか分からず、見聞を広めるためと称して、あちこちの講習や会合に出掛けたものだった。
行く先々で様々な立場の方との出会いがあり、翌年には、その出会いの数々がさらに増えていった。そのおかげでこの2年間というもの、多方面にわたり学ぶ機会に恵まれて、私の世界も広がった気がする。
よりあい*ええげえしで繰り返し学び合ってきたマイケアプランが、すこしずつ地域に広まってきたのも嬉しいことだし、会員同士が楽しく学ぼうと「ええげえしマイケアプラン楽習会」がスタートすることも張り合いになっている。仲間とともにマイケアプランを語り合う時には常にはるさんを感じられ、介護の日々から遠ざかったにもかかわらず今でもはるさんと過ごした日々が身近に根付いていることが嬉しい。
介護保険開始から5年目の今年、その制度の厳しい行方が新聞紙上にも取り上げられるようになってきた。仲間とともに、さらに知恵を出し合っていくことが重要になると思う。
よりあい*ええげえし新聞19号(2003年11月30日発行)

高齢者施策推進懇話会が設置されます

介護に忙殺され模索する日々を重ねるなかで行き着いたマイケアプラン。自分らしい暮らしとは?を学び合っているわけだが、これをひと言で伝えるのは難しい。まずは介護予防、そして、はるさんとの二人三脚で得た介護の工夫や地域の支えあいを学び合っていきたいと思っています。
介護保険が見直された今年、第1号被保険者の方は新しい保険料の徴収に慣れたでしょうか。坂戸市でも高齢者施策推進懇話会が12月18日にスタートします。次期見直しに向けて、介護保険事業計画や高齢者保健福祉計画についても考えあっていきたいですね。皆さんの声をお寄せ下さい。
よりあい*ええげえし新聞18号(2003年10月30日発行)

工夫の知恵

介護中は介護保険サービス以外でも、細かい生活上の工夫をします。例えば、飲み込みが悪くなり柔らかいものしか食べられなくなった時、毎回おかゆを炊くのは大変なので、まとめて作って一食ずつ冷凍保存しておく。通販の介護食品を利用する。豆腐・プリン・ゼリー・柔らかい缶詰など上手に利用するなど。我が家で役に立ったのはベビーフードでした。薄味だし、量も手頃で使いやすく買い置きも出来るので便利でした。賢く手抜きをすることで介護する側も長続きします。
介護の工夫も、普段の暮らしも、誰もが自分発のマイケアプランで考えられるといいな、と思います。一人では迷ってしまう事もみんなで考えればいい知恵が浮かぶかも。よりあい*ええげえしでは「マイケアプランは自分らしい暮らしに必要なもの」と、介護保険の仕組みやサービスの学習をしてきました。坂戸市保健福祉計画なども視野に入れ、分かり易く学習していますので、ご一緒にどうぞ!
よりあい*ええげえし新聞17号(2003年9月22日発行)

ありがとう

しばらく眠っていた吸引器を友人宅で使ってもらうことになり、押入の天袋から引っ張り出した。はるさんが亡くなって二度目の夏が過ぎた今でも、思いもかけないところから当時のメモが出てきたり、ベッド廻りの小物が出てきたりする。その度に介護の日々が懐かしくよみがえる。
今、地域の仲間とともに忙しくも充実した毎日を過ごしているけれど、よりあい*ええげえしをはじめ複数のボランティア活動で出会う様々なできごとは、介護の日々で学んだことと不思議に一致する。人生の終わり方を見せてくれたはるさんは、自分の未来の予行演習だったし、介護するなかで自分らしい暮らしに必要なことも考えざるを得なかった。でも、それらを自分だけのことで終わらせず、マイケアプラン等の学びにもつなげられたのは、一緒に考えてくれる仲間がいたからだった。
先般、全国マイケアプラン・ネットワークシンポジウムに企画から関わり無事に終了したときも、地域の仲間の力を感じたものだった。一人より二人、二人より三人…、一緒に考える仲間が地域にいる幸せを、誰もが感じられることを願って。
よりあい*ええげえし新聞16号(2003年7月21日発行)

その人らしく

高齢になって介護が必要になったら、と考えると誰でも不安になります。でも、一体何が不安なのでしょう。寝たきりになったら惨めだ、オムツはイヤ、他人の世話にはなりたくない等、次から次に出てきそうですが…。
私もはるさんとの介護生活がなかったら、そう思ったに違いありません。でも、要介護度5のはるさんと過ごしたことで、気づいたことや出会った人がどんなに多かったことか。そして、例え痴呆が進んでも食事介助が必要になっても、笑ったり泣いたり喜んだり怒ったり、はるさんは、はるさんらしく廻りと関わっていました。その人らしさは失われないんだと教わったような気がします。
私も、私らしく暮らすための頭の整理をしてみましょう。互いの違いを認め合いながら、誰もがその人らしく生きて行けることを目指して。
よりあい*ええげえし新聞15号(2003年6月20日発行)

みんなと私のマイケアプラン

「地域で元気に相返しの研究・実践」をしようと活動を始めて2年半が過ぎ、よりあい*ええげえしの活動は、今、多岐にわたっています。毎回繰り広げられる数々の内容は、一見別々のものに思われるかもしれませんが、実はみんな繋がっていて、暮らしに深く根付いている事柄ばかりです。
義父母の介護をしながら過ごした7年間は、自分がどうしたいのかを考え、家族や周囲との関係を見直す機会でもありました。どうしたら自分らしく暮らしていけるのかな、自分らしいってどんなことかな、とよりあい*ええげえしの仲間と考えるうちにマイケアプランへと行き着きました。
マイケアプランは、介護保険だけでなく、市の福祉サービスや年金、健康や暮らしのことなど、何でも自分のこととして考えることから始まります。難しい理念より、一人一人の違いを大切にしながら、マイケアプランの学習をしています。ネットワークの輪を広げながら、自己選択や自己決定の基本を学べていけたらいいですね。
誰もが安心して暮らせるまちになることを願って、マイケアプランを一緒に考えていきましょう。
よりあい*ええげえし新聞14号(2003年5月12日発行)

わが家が介護現場になったとき

8年前、長年住み慣れた長野の自宅を後にして義父母が坂戸に引っ越して来たときから、わが家での介護が始まった。それ以前も坂戸と長野を往復する、いわゆる遠距離介護を数年間続けていたので、義父母の世話にはある程度慣れてはいたものの、わが家で始まる生活のために準備しなくてはならないことはたくさんあった。
まず部屋を確保しなくてはならない。高校生と大学生4人の子どもが居るので部屋数に余裕があるわけではなく、私たち夫婦は居間に寝ることにして、義父母に6畳の部屋を明け渡した。家具や押入の中のものを他へ移し、その部屋にベッドを2台置いた。歩くのがやっとの義父母にベッドはどうしても必要だったので、その他のものといったらポータブルトイレを置くのがやっとだった。今なら介護保険のレンタルがあるけれど、当時、他の方法は思いつかなかったから、すべて購入した。スペースが無いことと安全性を考えて冷暖房のためのエアコンを購入した。かなりの出費となったが、二人を迎える準備ができた。
それから、玄関や廊下などに手すりをつけた。サッシの窓や押入や洋服タンスが開かないよう鴨居の近くに留め具をつけた。押入をトイレと間違えて用足しをしたり、押入と思って窓を開け外へ出ていったりしないように用心したからだった。二階への階段をあがってしまう事も心配だったけれど、視線がいつも下に向いているので上方に関心がいくことは、結局無かった。
その他にも、生活上の細々としたことは大変化を遂げたが、それは家の中のことだけではなかった。
そのころの私は、育児に追われるだけで何も出来なかった時期が終わり、少しずつ自分の時間を持つことができ、テニス・和裁・コーラスなどを楽しんでいた。でも、これから介護が始まるからには家に居なくてはならない。私は、それら週に一度の楽しみを全て休会して、24時間の介護体制に突入することになった。自分を見失うほど毎日が介護一色になり、社会から一人取り残されたような生活だった。
介護を卒業した今思い返してみると、介護そのものより、自分らしい時間が持てなくなる事や、社会から遠ざかっていく事が、耐え難いことだったのだと気付かされる。早い時期に語り合える仲間と巡り会えた私は幸せだったと、つくづく思う。
よりあい*ええげえし新聞13号(2003年3月27日発行)

介護保険見直しの年

介護保険開始から3年が経ち、制度見直しの時を迎えた。3年後の見直しは、介護保険計画に初めから盛り込まれていたことで、だからこそ、私たちはマイケアプラン勉強会をしたり、高齢者福祉審議会にも関心を持っていたのだった。
今回の見直しでは訪問介護サービスが大きく変わる。今まで、家事援助・複合型・身体介護の3種類だった訪問介護は、生活援助・身体介護の2種類になる。分かりにくかった複合型が廃止され、家事援助は生活援助と呼び名が変わる。生活援助は今までの家事援助より単価が高くなるので、利用者の一割負担額も上がるケースが出てくる。限度額ギリギリいっぱい利用している人はどうなってしまうのだろう。
サービスを提供する事業者も改定により影響を受けるだろうから、どこにどのようなサービスがあるのか、私たち利用者も情報をたくさん集めて、自分らしい暮らしに役立つプランを立てていきたい。まずは介護予防を心がけ、マイケアプランの勉強からはじめましょうか。
世の中が大きく動いていく中、足下を見失わないよう、地域で顔と顔を合わせた者同士、元気に仲良く暮らしていきたい。金子みすずの詩にあるように、みんな違ってみんないいのだから。
よりあい*ええげえし新聞12号(2003年1月16日発行)

一年経って…

新年初の顔合わせの時、今年の目標や抱負などを言い合ったりする。一年後その通りになっているとは限らないけれど、それはそれ。
はるさんが亡くなったばかりの昨年は、どうしていいか分からず、とりあえずは「勉強の年!」ということにして一年を過ごした。あちこちの講習会や会合に出掛けたり、いろいろな方と情報交換するうちに、たくさんの出会いにも恵まれ、思いの外、元気よく過ごすことが出来た。
はるさんとの介護体験があったからこそ、どの出会いも大切に思えたし、多くの人を知れば知るほど、誰も皆その人らしく暮らしているんだなぁ、と感じる一年だった。私は介護中も自分らしく楽しく暮らしたいと思っていたし、介護が終わった後に「無駄な時間を過ごした。」と思わないで済むよう願っていた。一年経った今、たくさんの出会いのおかげで、ようやく介護生活をちゃんと卒業できたような気がする。現在介護中の方や介護を受けている方も、その人らしい暮らしぶりが楽しめるよう、自分の生活を大切にして欲しいと思う。自分を大切に思うと、おのずと他人も大切にできると思うから。
とりあえずのつもりの「勉強の一年」だったけれど、少しだけ身についたような…。今年は少しステップアップしてみようかな。
よりあい*ええげえし新聞11号(2002年11月28日発行)

マイケアプランは生活のプラン

去年の今頃、はるさんの居宅サービス計画(ケアプラン)を自己作成するための手続きに追われていた。自己作成の届出に必要な、サービス計画表や利用表などの1〜6表に記入しながら、はるさんと私、そして家族の暮らしを振り返りつつ、サービスの組み合わせを考えていた。
それは取りも直さず、自分自身の生き方を考える機会でもあり、物心両面でいかに周囲に支えられているかを再確認することでもあった。書き方が分からない部分は高齢者福祉課で聞きながら、届出を済ませ、とても充実していた。
振り返ってみれば、ここ数年誤嚥性肺炎を繰り返していたし、嚥下困難から経管栄養になり徐々に体力が衰えていたはるさんだった。何とか自己作成が出来るようになるまで待っていてくれたのだとも思えた。
はるさんと共に過ごした遠距離介護・在宅介護の暮らしは、私にマイケアプランということを教えてくれた。
よりあい*ええげえし新聞10号(2002年10月17日発行)

合い言葉は「地域でともに」…一人じゃないから…

はるさんの介護で学んだ事と、地域のボランティア活動での出会いの数々が、私にとって何よりの財産になっている。よりあい*ええげえしの活動をするなかで、それらが有機的につながり合っているのがよく分かる。
困ったときに、ふと思い浮かぶ顔、顔…、さりげなく手をさしのべてくれる人達。嬉しいことはいっしょに喜び合って、小さな幸せをかみしめる。なんとなく感じる生活上の違和感も、なにげないおしゃべりのなかから、問題解決の糸口がみえてくる。そんな心地よい日々の営みは、ともに歩む仲間が在ってこそ。よりあい*ええげえしの合い言葉である「地域で・元気に・相返し」が、私の中で次第に形作られていくようだ。生活の基本は家庭にあるけれど、いきいきと過ごすためには「地域とともに」がキーワードのような気がする。介護予防のためにも役立つだろう。
来年度の介護保険見直しに向けて坂戸市高齢者保健福祉計画が審議されている。審議会に参加する際、一人では太刀打ちできないような難問でも、地域でともに考えていけたらと思う。
よりあい*ええげえし新聞9号(2002年9月19日発行)

ケアプランを自己作成すると…

介護保険を利用するとき、どのようなサービスをどれくらい使うか計画を立てます。それがケアプラン。ケアマネジャーにケアプランを立ててもらうのもいいけれど、市役所に届け出て自分で作る自己作成にすれば、介護保険が謳っている自己選択・自己決定そのもの。介護保険の仕組みも、サービスの内容も、どこにどのような施設があるか等も、情報を集めているうちにだんだん分かってくるようになるし、どのように暮らしていこうかと自分の生活を見つめ直すことにもなる。
デイケアとデイサービスの違いも分からなかった私だけれど、あちこちで情報を集め、いろいろな人に教えてもらいながら、たくさんの素敵な出会いに巡り会えた。
自己作成に取り組んだおかげで、市民としての役割や暮らしやすいまちづくりにも関心がもてるようになった。審議会委員として、坂戸市高齢者保健福祉計画にかかわるようにもなった。
よりあい*ええげえし新聞8号(2002年7月25日発行)

介護の始まりはいつ?

二人暮らしが限界に達した義父母が、長野県の自宅を後にして坂戸へ来たのが1995年春。数年の遠距離介護を経て、我が家での在宅介護が始まった。
勉強のつもりで社協の三級ヘルパー講習会を受講したり、新聞・雑誌で介護に関する記事を読んだりして、私なりにその時への備えをしたつもりだったが、いざとなってみれば、毎日24時間続く介護に押しつぶされそうな日々だった。家族や隣近所の暖かい見守りがなかったら、すぐにギブアップしていたかもしれない。
その後、デイケアなどのサービスを利用することで自分の時間を持てるようになり、趣味のグループ活動や介護に関する勉強会の時間も確保でき、少しずつ介護のコツを身につけることができたが、と同時に、介護についての問題意識も持つようになった。当時、新聞・マスコミで介護保険がとりざたされるようになったが、介護の当事者には具体的な内容が少しも分からず、「一体どうなるのだろう。」と不安ばかりが増していた。
「坂戸市保健福祉及び介護保険計画策定委員会」の公募委員として関わりを持つようになったけれど、初めての体験だったし、介護保険制度は素人市民が理解するには程遠い。2000年の介護保険開始までに分かり易い仕組みになっているかしら、と不安だった。介護の日々を乗り切るためには、情報を集めて介護保険を上手に利用する工夫も必要だな、と痛感していた。
介護保険三年目となった今、町中でデイサービスの送迎車によく出会うようになり、身近に感じられるようになった。現在、介護中の方たちは、どんな毎日を過ごされているのだろう。来年度の保健福祉計画見直しに向けて、たくさんの方との情報交換が必要と思う。
よりあい*ええげえし新聞7号(2002年6月29日発行)

介護中でも楽しくそして自分らしく

7年前のはるさん夫婦が来た日から、我が家は、それ以前とうって変わって介護一色となった。明けても暮れても食事や身の回りの世話に追われ、自分らしさを失っていった私だったが、しばらくして週に一度のデイケアを利用するようになり、一息つけるようになった。
はるさんがデイケアに慣れてきた頃、コーラスの練習に行き始めた。義父母の介護のためにあきらめたテニスやコーラス、和裁教室などのうち、まずコーラスを再開出来たのだった。久しぶりにコーラスの仲間と会い、楽しい時間を過ごすことが出来た。練習も楽しかったが、受け入れてくれる場があり話を聞いてくれる仲間がいることが何より嬉しくありがたかった。週に一度ではあったが、介護の日々から解放される時間が持てたのだった。
その後、義父が亡くなり、はるさん一人だけの介護になったとき、ボランティア活動を始めた。介護だけではない自分の時間を過ごしたかったのだけれど、コーラスを再開したときに感じた開放感が忘れられなかったからかもしれない。
介護中であろうと今の人生を楽しまなくちゃ、と開き直った。一年前の私より今年の私がいくらかでも進歩していることを目標にして。そして、介護中の利点を活かして情報交換をしているうちに、よりあい*ええげえしの心強い仲間たちと出会った。
これから先も、自分らしい暮らし方を探るため、輪(和)を広げていきたいと思っている。
よりあい*ええげえし新聞6号(2002年5月27日発行)

はるさんが亡くなって4ヶ月が過ぎ、家族の生活も徐々に落ち着きを取り戻してきた。主を失った車いすは廊下の片隅で淋しそうにしているが…。
もう、はるさんのためにケアプランの自己作成をすることはなくなったが、この間に学んだことは数多い。
自分の暮らしを振り返り、行く末を見つめることで、夫とも老後のことなどを語り合う機会が増えた。普通の主婦である私には、これといった人生の目標があるわけではないけれど、家族や友人、地域との繋がりの中で楽しく豊かに暮らしたいと思いながら毎日を過ごしている。
介護を通じてたくさんの人と出会ったが、マイケアプランを実践している人達との出会いは貴重な体験となっている。京都市にある「マイケアプラン研究会」は『私にもつくれますマイケアプラン(介護サービスと楽しく上手につきあうために)』という冊子を発行していて、この中からマイケアプランの理念を教えられた。(新聞第4号に関連記事)毎月のマイケアプラン勉強会でもこの冊子をテキストとして活用している。
また、東京での「全国マイケアプランネットワーク」は、ケアプランの自己作成をしている人や医者・大学の先生・ケアマネージャー・ヘルパー・ライター等の人々がネットしている。自己作成に前向きに取り組んでいる人、あるいは否応なく取り組まざるを得ない状況になっている人など、全国あちこちで多くの人が孤軍奮闘しているけれど、お互いに情報交換することが大切だと思う。
そして自分の住むまちを良く知ることがマイケアプランの第一歩かもしれない。「よりあい*ええげえし」で楽しみながら学べるのは、私にとって幸運なことであり仲間の皆さんに感謝している。それもこれも介護があったからこそで、はるさんとの生活から得たものは大きい。私のマイケアプランはここから始まり、そして続いていく。

よりあい*ええげえし新聞5号(2002年4月22日発行)

「ようこそ!まさこのホームページへ」をご覧いただいた方々から多くのメッセージが届きました。

介護生活を張り合いのあるものに替え、支えてくれた周囲の方々に感謝しています。暖かく支えてくれた仲間がいればこその介護の日々でした。見守ってくれたみなさん、ありがとうございました。

はるさんの死去により、投稿をお休みしました。代わりに皆さんからのメッセージを掲載させて頂きました。

よりあい*ええげえし新聞4号(2002年3月21日発行)

「ようこそ!まさこのホームページへ」より

12月、自己作成に切り替えてからはじめてのデイケアに、はるさんが出かけた。これからは、サービスを利用した日には実績表に「1」と記入していく。自己作成だからといって、現状はなにも変わらないけど、なんだか晴れがましい気分。自分のことは自分で決めるという当たり前のことが出来ているからかもしれない。
12月中頃には翌月のケアプランの準備に入るはずだったが、12月11日、はるさんが肺炎で入院する事態となり、来月のケアプランの手続きは当分延期となった。自己作成に慣れていないのに急な変更となってしまい、少しあわてて高齢者福祉課の窓口へ相談に行った。はるさんの病状を心配そうに聞いてくれ、症状が落ち着いてからの相談で間に合うので大丈夫と言われて、ほっと一安心。こんな風に人間的なつながりができたことがとても嬉しい。
担当職員が「役所の敷居を低くして誰もが遠慮なく窓口に来てくれるよう心掛けています。」と言っていた。市民と行政がパートナーシップを組めるよう情報交換していけるといいなあ。
1月7日、はるさんの容体が急変。我が家のケアプラン自己作成はたったひと月で終わってしまったが、マイケアプランで様々なことを体験出来た。悲しい別れに思い切り涙を流した後、はるさんから教わったことを今後に活かしていきたいと思いはじめている。
よりあい*ええげえし新聞3号(2002年2月10日発行)

「ようこそ!まさこのホームページへ」より

11月中旬、市役所で用意してくれた自己作成のための書類に記入し、はるさんの12月ケアプランの手続きをしました。
よりあい*ええげえしのマイケアプラン勉強会で練習したとおりにサービス利用表の記入をし、その合計回数をもとに、利用者負担を計算して利用表別表も記入しました。少しドキドキしながら…。どの用紙も記入欄が小さいので、老眼が進んだら大変そうだなーと思いました。
その後、坂戸市高齢者福祉課へ行き、サービス利用表・利用表別表・居宅サービス計画書・週間サービス計画表・照会(依頼)内容表に、はるさんの介護保険証を添えて提出しました。
5日後、市役所へ利用票と提供票を受け取りに行くと、それぞれの確認欄に坂戸市の公印が押されていました。記入欄からはみ出る位大きいハンコが誇らしげです。介護保険証には「自己作成」と記入されていました。
次に、確認印が押された提供票と提供票別表を、事業所へ届けました。今まではるさんのケアプランを作ってくれていたケアマネージャーさんが「自己作成第1号ですね。」と、にこやかに受け取ってくれました。
よりあい*ええげえし新聞2号(2002年1月14日発行)

ケアプランの自己作成をするためには、自分がどう暮らしたいのかを問い直すことから始まる。生活の中のどの部分をどんなメニューで補えば自分らしい暮らしが出来るのか…を考える。
ケアマネージャーに依頼しない自己作成の場合は、自分で事業者に予約して利用表や利用表別表に記入するのだが、その作業は市役所に用意されているマニュアルがあるので、心強い。
けれど、どのサービスをどれくらい使うのかを決めるのは、わたしたち一人一人が自分自身で選ぶことになる。自己選択・自己決定の時代は、介護保険開始のときから始まっているのだから。
介護だけに振り回されるのではなく、今の自分の生活も楽しんでいきたいと思っている私は、はるさんの体調と介護度に応じて、ショートステイやデイケアを使っている。介護者である私も自分の時間がもてるようにケアプランをたてているので、介護が重荷にならずにすんでいることが嬉しい。

よりあい*ええげえし新聞1号(2001年11月26日発行)

ケアプランの自己作成

介護保険のケアプランは、ケアマネージャーに作成を依頼するのが一般的であるが、自分で作ることもできる。
義母のはるさんは要介護度5で寝たきりの状態ではあるが、デイケアやショートステイを利用してそれなりに暮らしている。
介護をする側の私には、介護保険を上手に使うためのノウハウが必要になる。
介護と自分の暮らしを両立させるために介護保険をもっとよく知りたいと学ぶうちに、次第に自己作成を選択しようという気持ちが膨らんできた。幸い一緒に学びあう仲間もでき、これから自己作成に挑戦してみたいと考えている。こうご期待!
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