市民の集いPart1 事例発表

ご忠告!!
長文です。読むのはちょっと大変ですよ。

市民の集いPart1 事例発表 (2000.3.4 坂戸市コミュニティセンター
「助けられ上手さん」「助け上手さん」市民の集い(主催・坂戸市ボランティア連絡会)

生き生き介護

私は特別な資格や職業を持っているわけでない普通の主婦です。自分が体験した我が家での介護についてお話をします。

さて、皆さんは介護と言われてどんな事を思い浮かべるのでしょうか。重い病気になった人、足腰が弱って車椅子に乗っているお年寄り、それとも呆けてしまった人、徘徊したり迷子になったりする人のことでしょうか。
私の場合を申し上げますと、はじめは毎日が戦いの日々でした。

長野県で二人だけで暮らしていた夫の両親を坂戸へ連れて来たのが5年前のことでした。その頃の両親の状態がどんな様子かと言うと二人とも痴呆症状がありましたし、80歳を過ぎてからは、足腰が弱っていましたので伝い歩きをしていました。

昼間も寝たり起きたりでした。トイレも上手には出来なくなっていて、生活のほとんどに手助けが必要でした。食事も、着替えも手伝わないと出来ませんし、トイレの失敗の後始末にも追われます。痴呆症状がありますので、こちらの言う事は通じないし、わかってもらえない。
たとえばポータブルトイレに腰掛ける直前に出てしまって周りが水浸しになったり、トイレではない場所にしてしまったり、それが二人分なのでなかなか大変です。

廊下や畳を拭いては乾かし、着替えをさせる度に洗濯物が増えます。家事に追われていると、その隙に父が、鍵を開けて散歩に出て行ってしまいます。足腰が弱ってますから、遠くへ行ける訳ではないのですが、車道へ出てしまいます。横で支えようとすると手を振り払い、怒りますので、真後ろに回ってついて歩きます。

その間に、家に残っている母がタンスの引出しから、洋服やらタオルやら山のように引っ張り出しています。本人は旅行にでも行くつもりで、その支度をしているらしいのですが、私にとっては、散らかされたものを片付けなくてはならず用事が増えるばかりです。
夫や子供が休みの時はいいのですが、私一人ではどうにもなりません。近所の方にも随分助けていただきました。

でも、一番大変なのはお風呂です。天気の良い日の午後を選ぶのですが、入りたがらない場合もありますし、入ったら入ったで、一人ずつ順番に二人を入浴させて、きれいに洗って着替え終わるまでには、もうこちらは疲労困憊いたします。
夫がいるときには手伝ってくれますが、家庭の小さい浴室では、大人が、夫と私と3人いると、かえって動きづらくなったりします。
毎日、二人の世話に追われて私は心の余裕がなくなりました。 「正子さーん」と呼ぶ声を聞くのもいやになります。

昼間、父と母に囲まれて過ごしていると今までの生活とは大違いで、私はこれを老人ワールドと呼んでいました。両親を呼び寄せる前は夫と子供たちがいる、ごく普通の家庭でくつろぎの場であったのに、その同じ家の中が老人ワールドと化してしまうのです。
私が、食事をするのも、新聞や本を読むのも、お茶を飲むのも、また、ちょっと昼寝でもしたいなと思ったとしても、それは皆その老人ワールドの中でこなさなくてはなりません。

二人分の下の世話や食事の支度や身の回りのことに追われる事も大変でしたが、それよりもいつまで続くか判らないで、精神的に追い詰められていくような、余裕の無さのほうが辛かったと思います。
夕方になり子供達が学校から帰ってきたり夫が帰ってきたりすると、老人ワールドから抜け出せます。やっと自分の世界が取り戻せるのです。
でもこの老人ワールドが一体いつまで続くのだろうと両親をうっとうしく思い始めます。これでは長続きするわけがありません。

考えてみれば両親だって辛かっただろうとも思います。住み慣れた土地をはなれて、慣れない家で暮らさなくてはならなかったのですから。 でも介護に追われていると思いやりとか、やさしさなどはどこかに飛んでいってしまいます。身も心も余裕を失っていきます。

こんな時は少し距離をおいてみるのが一番、自分一人の力ではどうしようもないですからね。ですから、デイサービスやショートステイなどを利用して何とかやりくりしました。それでも、二人を相手にする毎日はなかなか大変なものでした。

デイやショートを利用し始めた、最初の頃は、デイケアやショートステイで預かってもらってる時間のあいだは、ほっとして、とにかく体と心を休めることしか考えていませんでいたが、段々欲が出てきました。
介護のために一時、休んでいた趣味のグループ活動に再び通い始めたり、グループの仲間に愚痴を聞いてもらったりもして、ストレス解消できるようになりました。

デイケアやショートステイで介護から開放される時間が確保されるようになってみると、少し余裕が生まれます。同じお世話をするのでも気が楽なのです。

ようやく二人の介護にも慣れて、3年が過ぎようとする頃、義父が急性呼吸不全で亡くなってしまいました。
その後は義母一人になりましたが、その母は1年半前に誤嚥性の肺炎を起こしてから、あとは寝たきりとなりました。

ですから現在は、寝たきりで痴呆の義母を介護しているということになります。
寝返りができませんから、2時間位を目途に体の向きを変えてあげなくてはなりません。床ずれができないように右向きにしたり、左向きにしたりして体位交換をします。おむつを換える時に床ずれが出来ていないか、お尻が赤くなっていないか確かめます。
食事の時は車椅子に乗せて、食卓へ連れてきて食べさせます。寝たきりといっても、体を起こしてやって、ベッドから車椅子に乗り移らせてあげるとしばらくは座っていられるのです。
食事は自分で食べることができないので一口ずつスプーンで食べさせます。飲み込みが上手くいかないこともあるので注意しなくてはなりませんし、柔らかい物しか食べられないので、おかゆと、おかずはすり潰したり細かく刻んだりして、食べやすくします。

家族の食事のほかに母の分を用意しなくてはなりません。一回の食事に30分以上かかります。私の食事は後回しにするか、先に済ませてしまうかその時に応じて適当にします。
食後は食べた物が落ち着くまで起こしておいて、しばらくしてからベッドの上に移して寝かせます。家事の合間にオムツを替えたり、体の向きを変えたりしてると次の食事の時間がやってくる、こんな具合で一日が過ぎて行きます。

でも今は息抜きもしっかりやっています。それは週に3回利用しているデイケアに義母がでかけて行った時の昼間の数時間、それと1・2週間単位で預かってくれるショートステイの時、これは夜もゆっくりできる。それに今回も利用しているのですが、月単位で預かってもらう長期入所の時です。

寝たきりになってからは、動き回れない分かえって安全なので、少しの間なら買い物に行ったり、好きな事をしたりできるのですけれど、それでも母を預かって貰っている間の自由な時間と開放感は何ものにも換え難いほどありがたいものです。

ゆっくりと買い物に行く事もできますし、都内までコンサートや展覧会行ったり、ふだんは会えない遠くの友達に会いに出掛けたり、時には夫と旅行に行ったりもします。実家の母とのんびり過ごしたり、その他にもやらなくてはいけない事があればこの時に済ませてしまいます。

また、毎週決まった曜日にデイケアに出掛けますので、その曜日には趣味のグループ活動ができます。ボランティアに関することや、講習会・学習会などに出かけて行き、視野を広めることもできます。

それから家族のそれぞれの良さを再発見することもできました。この5年間で4人の子供達は高校生から大学生へと、成長しましたが、難しい年頃だけにちょっと心配をしていました。
しかし実際に家の中が介護一色になって落ち着かなくなったときでも、イライラしている私に、思いやりのある態度を示してくれたり、おじいちゃんやおばあちゃんにもやさしい言葉をかけたりしてくれました。

こんなことがなければ、息子や娘の良い一面を見逃していたかもしれません。また、忘れちゃいけません。夫も、結構いいやつだったりして、見直しました。

それと今の母は、自分の息子の顔はわかるのですが、私や孫のことはわからなくなっているので、私が「おかあさん」とか「おばあちゃん」と呼んでも反応がないことがあります。ですから私は母のことを「はるさん」と名前で呼び掛けます。「はるさん、ご飯よ」などと名前で呼びかけていると、不思議な親しみを感じて、母もまた、私にとっては大事な家族の一員なのです。

今では、限られた時間の中でやりたいことが次々に出てきて、おかげで介護に携わる前より毎日が充実しているような気がします。

始めは、ただただ大変なだけの介護でしたが、母のおかげでいろいろな事に問題意識を持つようになり、多くの人に会うようになって、私のまわりに起こるすてきな出会いに、どんなにたくさん励まされた事でしょう。
もしかすると母のおかげで私はうんと得をしたのかもしれません。 2000.3.4

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